塾に通ったこともなく、運営したことも、まともに受験をしたことすらない私が、学習塾を起業しようと思ったのは、粗削りながらも上場企業で人事部長などを歴任しつつ「このままではいけない」という思いからでした。

当時、【塾】というものを全く知らない私が目の前の問題を一つずつクリアし、地域から高い評価を頂いていく様は、まるで「寿司を食べたことがないアメリカ人が“ノリ”で寿司屋を始めてみて、アボカドに海苔を巻いたら、予想外にうまくて、”カリフォルニアロールだ”なんて言って、それが世界に新しい世界観をもたらしたのと同じような状況だったと思います。

ほとんどチラシを出すことなくとも、極めて高い実績とそれに伴う評価を頂き、一時は地域での圧倒的な地位を築き、入会待ちの状況となっていましたが、私1人で対応できる生徒は思った以上に少なく、その後は1人の生徒にどっぷり浸かることではなく、できるだけ多くのお子さんを対応するべく企業としての拡大路線を貫いていきました。

企業自体の年平均の成長率が1.4倍を維持しつつも、既に私自身が1人の子供を見ることはできなくなっていました。
それでも、拡大著しい企業を運営していくためには、月間300時間を超える労働を余儀なくされていました。

最近になり、ようやく私の企業運営の負担が減ってきたころ、また以前の想いがよみがえってきました。
もう一度、一人ひとりと向き合いたい。厳しい状況であればあるほど、私だからこそ何とかできる子の可能性を広げてあげたい。

新しく開所した塾(塾と言えるのか?)は令和5年が始まるころにひっそりと動き始めました。

学問は、人の道につながります。
難しい話ではなく、よりよく生きていくための可能性を広げます。

それを以前は、年収という数値で定義して、そのために、高学歴を獲得するために世界でも稀な【塾産業】という歪な仕組みが生まれ、それは今も続いています。
それが重要だった時代も確かにありましたが、既に時代は変わっています。
特に、ベンチャー企業から、東証一部(現東証プライム)に上がる過程での大役を3社で担ってきた私には、人事の観点から偏差値だけを上げようとする行為が人生における能力のドーピングという愚かな行為としか思えず、それで金メダルを取ってしまった人たちが、その後、実際の能力や評価とのギャップに悩むような状態すら、多数見てきました。
だから、違うだろうよ・・・・ 何度もつぶやいていました。

偏差値は、反復往復により上げることができ、それはそれで素晴らしいです。
でも、その反復往復したスキルを社会で使うことは殆どありません。
その反復往復を過剰に繰り返す努力も尊く大事ではありますが、その過程で、本来、児童期で得るべき感覚を得られないまま大人になっている人が多いようにも、強く感じます。

あるいは偏った価値観によって、歪なプライドを醸成して、本人の生きづらさを助長してしまっているのではないか、と感じることさえ数多くありました。

既に弊社の事業が単なる教育ということではなく、福祉、人材に派生している今となっては、尚更それを強く感じるまでになっています。

この碩望舎は塾というには、まだまだ世の中の認識との乖離が大きいため、もうしばらくはやはりひっそりと運営していきます。
改めて、社会で活きる能力を上げませんか?
社会で求められる頼られる大人になるような学習に変えていきませんか? 
自分らしく生きがいややりがいを持って生きて行けるようになりませんか?
という思いで、授業を進めていきます。

と言っても、多分まだ多くの保護者さまが偏差値の呪縛から逃れられないのではないかと思いますが、私が既存の塾でやってきたような、心を鍛えることで、その結果、偏差値すらも劇的に上がる、と言えば納得できるでしょうか?

私が最初の塾で個人でやっていた頃はそういう思いでの運営であり、それはある程度の確度を持って、継承されています。

ただ、私にしかできない関わりは、やはり継承しきれません。

既に従業員を70名超擁する私が、敢えて、私1人でやる塾。
人間力を上げる塾です。
もちろん、その結果、偏差値すらも劇的に上げられる子になっていく。当然。社会での活躍も視野に入れています。
そういうことを実際に体現していきたいと考えております。

平学院の【平】は誰でも、という意味です。
仮に、経済力のないご家庭であっても、むしろそういうご家庭こそ
一方、個性が強く、他で対応が難しいお子さんであっても、等しく対応したい、という思いからです。

そして、【碩】とは学問が広いことや、そういう人自体を表した言葉です。

【大道】とは、本来人が皆生まれながらに有している正しい道(生き方)の感覚のことです。
それを強く【希う(こいねがう)】コミュニティにしたいと考えて解説いたしました。

私が運営している既存の塾のように幅広く多くの人に対応できるわけではありませんが、ご縁のあった方には、私自身が強く関わり、人生を前向きに変えていきたい、変えてみせる、と言う起業当時の想いや実績を改めて再現する場所だと認識しております。
オール1、不登校、なども関係ありません。

数値で表す意味はありませんが、例えば生涯年収で数千万円以上は変わるだけのインパクトを持たせることを目標としたいと思いますが、施設内での直接対応について、当面の間、費用は頂きません。

是非、ご興味のある方は、この碩学の門を希って頂ければ、と思います。

あなたのご来舎を心よりお待ちしております。

【授業内容】
とにかく考える、向き合う、深堀する、ということを目標に授業は進みます。
学年はバラバラですが、時事ネタも織り交ぜて、そこでそれぞれが考え、想いを語り、私がそこを更に深堀できるように、ディレクションしていきます。

これまでのワークの例

●子供の名前を考える 
名づけ方のマニュアルはありません。自分がつけたいようにつければいいのです。
ただ、一生を左右することもあります。
真剣に考えて欲しいものです。
そして、その過程で自分がどういう想いで名づけられたのかを認識するワークとなります。

●お金と生活について考える
なぜお金は必要なのか、お金がなくても幸せになれるのか、という総論から始まり、
最終的には具体的な生活資金としていくら必要なのか、ということも、調べながら進んでいきます。
また、人事っぽく、生涯賃金や職業による賃金差などについても言及しました。

●時事ネタ WBCってなんで盛り上がってるの?
商業的な成功について解説をしました。
ただ、そもそもWBCって何の略? GPSは? ATMは? ・・・・
日本にいても、社会は英語に溢れています。
身近にある英単語を100個言ってもらいました。
英語を知らなくても生活はできます。でも、知っていた方が面白いのでは、という投げかけから学習嫌いの子らに、学ぶ楽しさの片鱗を見せることができました。
学校の英語、もう一回ちゃんとやってみようかな・・とポツリ。
これこそが、私が目指している自立の元である必要性です。
押し付けることもありません。
ただ、気付いた人が主体的に学ぶ、こういうコミュニティを作りたい。そういうことが導けるコミュニティにしたいと思っています。

●WBCから派生して
・打率とはなんぞや
ここで初めて、数学的な話が出てきました。
数学なんて嫌い!やっても意味ない!という前提がここでそっくり覆りました。
そこから更に発展させて、割引の話をする頃には、学年に関係なく、興味の目で輝いていました。
・分数ってどういう意味?
日常のシーンをベースに様々なことを分数で表現してみました。

●自分の将来
どんな人になりたい? なりたくない? というところから、意見交換を繰り返しました。
皆さん、こういう場では良いことを言います。
でも、それが大事です。
良いこと言わせるんです。
発信として外に出た言葉はそのままエネルギーや意思を持ちます。
塾でも、親のことを嫌い、バカだ、という生徒はいますが、作文を書かせると、必ず親への感謝の気持ちが出ます。
感謝という潜在的な思いが顕在に変わります。
そして、顕在に変わった思いから、親の見方が変わります。
そうなると親子の関係性が変わります。
このワークは定期的に実施します。
どんどん変わっていく子供達を見ることは仕事冥利に尽きることでもあります。
彼らもわずか数カ月で行動の変容が見え始めています。

また、そういう考えるワークとは別に学校の勉強の補習もします。
ただ、ドリルをやるなんてことは家でできます。

ここでは、今何を勉強しているのか、自分の表現で説明してもらいます。

これができれば、成績は上がります。
何をやっているか、何が目的なのかがわかっていれば、人生も、スポーツも、勉強も、趣味も、人間関係も前向きに進展します。

実は勉強がうまくいっていないことの大部分はここに起因します。

内閣って何? 大臣って偉いの? 大臣って何人いるの?どういう担当があるの?
などの話は当初予定の30分では終わらずに盛り上がりました。

彼等は社会が嫌いで、興味がなかった子たちであることを最後に付け加えておきます。

ご興味のある方は、是非、この碩学の門を希って頂ければ、と思います。

ご来舎をお待ちしております。

平学院 碩望舎 院長 田中啓隆